錦保険スタッフブログ

主に保険のポイント、お役立ち情報等を発信しています。尚、ブログは初心者の模様(笑)

【尊厳死】という言葉を耳にしたので調べてみました。

f:id:nishikihoken:20170921100639j:plain

こんにちは。

秋の感じがでてきましたね。
サンマ食べましたか?

秋は美味しいものがいっぱいです。食べ過ぎに注意していきたいものです。




さて、最近「尊厳死」という言葉を耳にしました。
少し調べてみると、なかなか感慨深いものがありましたので、書いていきたいと思います。





尊厳死とは

いわゆる「尊厳死」とは,不治かつ末期の患者が自らの意思に基づいて延命措置の不開始又は中止を決定し,自然の経過のまま死を迎えることを指します。生命維持装置などの機械による生存を否定し,人間としての尊厳を保って死ぬというところからこのような言葉が用いられるようになりました。

日本の刑法第202条は,「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ,又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は,6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。」と定めており,自殺関与や本人の同意がある殺人でも処罰の対象としています。
もしも人間に死ぬ権利が認められるというのであれば,自殺関与や本人の同意がある殺人が処罰の対象となるのはおかしなこととなります。

ねじれ問題ではありませんが、アチラを立てればコチラが立たず状態ですね。






■日本では尊厳死はまだ認められていない

2017年現在、日本では法律的に尊厳死を認めてはいません

尊厳死を選択する患者さんがターミナル期であり延命措置をしても死期を延ばすだけであることや、憲法13条である「幸福追求権」によって自己決定権が尊重されること、そして今はホスピス(終末期ケアをする施設)が国内に浸透しつつあることを考えれば、全く不可能とは言えません。

しかし、尊厳死を選択したつもりでも、後から医師が法で裁かれ罰せられてしまうケースも存在します。





尊厳死における倫理的問題点

生死に関わる事柄には、「倫理」といった表現がつきものですが、尊厳死においても考えなくてはならないものです。

そもそも倫理とは、(簡単に言うなら)私たちが生きていく上で「良いことなのか」「正しいことなのか」と判断する時の根拠をいうものです。

例えば本人だけではなく、患者さんに関わる医師、家族を含め、「死を選択することで本当に全てが解決するのか」「延命をすることで命は続いていくかもしれないのに、そこで断ることで一人の人生が終わってしまうことが最善の選択肢なのだろうか」「命の終わりを決めることまでもが、自己決定権の中に含まれているのだろうか」といったことを考える際に問題となりえます。

価値観の押しつけにならないように真っ当な倫理観を持つべきですが、答えを出すことが難しいのが倫理的問題。

死としっかりと向き合うためには、倫理的観点も当然ながら備えておくべきでしょう。





尊厳死に必要となる「死ぬための権利」の妥当性

私たちは当然、「生きるための権利」を持っています。

それとは逆に、尊厳死は自ら延命措置をせず死を選択することになりますから、その際に守られるのは「死ぬための権利」であると考え、ここではそう表現していきます。

ここで問題となるのは、生きる権利もまだ不十分な現状で、尊厳死という死ぬための権利を定めてしまっても良いのか?ということです。

全ての人が尊厳死に対し同じ価値観を持っているわけではありません

法律で定められているものの中には、未だに議論されているものがあるのと同様に、「尊厳死」という選択肢もあると知っておくことが、より良い今後の議論の大前提だということです。

しかし、命を救う・維持するという今までの考え方とは違っていることから、特定の価値観・死生観の普及に繋がることが危惧されている、という問題点もあるようです。





尊厳死をしたい方の制度でリビング・ウィルというものがあります。
臓器提供意思カードと似ていると思いましたが、まだまだ普及はしていないようです。




リビング・ウィルとは?

回復の見込みがなく、すぐにでも命の灯が消え去ろうとしているときでも、現代の医療は、あなたを生かし続けることが可能です。
人工呼吸器をつけて体内に酸素を送り込み、胃に穴をあける胃ろうを装着して栄養を摂取させます。ひとたびこれらの延命措置を始めたら、はずすことは容易ではありません。生命維持装置をはずせば死に至ることが明らかですから、医師がはずしたがらないのです。

「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いらっしゃいます。「平穏死」「自然死」を望む方々が、自分の意思を元気なうちに記しておく。それがリビングウイル(LW)です。

参考:トップページ | 日本尊厳死協会






■まとめ

尊厳死の問題点はまだまだ多く、現在までたくさんの人が注目しているものの一つです。

もはや尊厳死の問題は医療だけにとどまるものではなく、社会全体で考えるべきことになっています。

生きていくために、一度しかない人生が充実したものであるように、固定観念に縛られず、広い視野を持って皆が考えることが望ましいように思います。






渡部